ラクサと沙茶麺:東南アジアと中国、二つの麺料理
ラクサと沙茶麺は似ている。そう言われてすぐにピンと来る人は少ないかもしれない。
私は2008年から2010年まで中国福建省の厦門大学に留学していた。厦門には沙茶麺(写真1)というローカルフードがあり、地元民に広く親しまれている。私も留学中にそのおいしさの虜になり、いきつけの店がいくつかあった。今でこそ、厦門の沙茶麺は中国国内でも知られるようになったが、かつては他の地域ではほとんど知られておらず、厦門大学の学生でも他地域出身者は厦門に来て初めて沙茶麺を知ったという人がほとんどだった。
写真1 厦門の沙茶麺。私が選んだトッピングは魚の団子と目玉焼き
(2013年1月撮影)
沙茶麺は、沙茶醤(唐辛子やターメリック、フェンネル、干し魚、干しエビ、ニンニク、ショウガ、ビーナッツ油など材料を使った調味料)と花生醤(ピーナッツペースト)を味付けのベースにしたスープに、ストレート麺および好みのトッピングを合わせて食べる厦門を中心とした閩南(福建南部)地域のファストフードである。上に載せるトッピングには、厚揚げや豚レバー、イカ、カキ、魚の団子などが好まれる傾向にある。中国南部の他のスープ麺とはまったく異なり、ピーナッツベースの濃厚な味、ピリリとした唐辛子の辛み、乾燥した魚介類の複雑なうまみが絡み合ったスープは異色の中国スープ麺だと厦門留学中から感じていた。
私は、今年(2025年)2月にジョホールバルで短期調査を行った際、昼食にラクサを食べた。ラクサとは、マレーシアやシンガポール、インドネシアで食べられている香辛料を用いた麺料理の総称である。ラクサには様々な種類があり、タマリンドを使った酸味のあるスープか、ココナッツミルクを使ったまろやかなスープの大きく2種類に分けられる。私が沙茶麺と似ていると思ったラクサは、まろやか系のカレーラクサである。カレーラクサを食べた当日は、遊神儀礼が昼過ぎまであった。会場近くに臨時の屋台が出店していたので注文し、出てきたカレーラクサ(写真2)を見て驚いた。厦門でよく食べていた沙茶麺に見た目がそっくりだったからである。スープの色や、トッピングに厚揚げや魚の団子が入っていることなどが見た目の印象をあたかも沙茶麺かと錯覚させた。食べてみると、味もよく似ている。厳密に言うなら、沙茶麺のベースは沙茶醤と花生醤で、カレーラクサはラクサペーストとココナッツミルクがベースになっており、まろやかさを何の材料で出すのかが異なる。しかし、味の印象や方向性が極めて似ている。その後、この旅でカレーラクサをいくつか食べて様々なバリエーション(写真3、4、5)があることを知った。初めに食べた屋台のカレーラクサほど沙茶麺に似ているものはなかったが、やはり両者は全体的に同系統のスープ麺だと筆者は思った。
写真2 ジョホールバルの屋台で食べたカレーラクサ。沙茶麺とそっくりだと思った
(2025年2月撮影)
写真3 ジョホールバルの宿泊先近くの店舗で食べたカレーラクサ
(2025年2月撮影)
写真4 Google Mapsで評価が高かった店で食べたジョホールバルのカレーラクサ
(2025年2月撮影)
写真5 シンガポールの宿泊先近くのホーカーで食べたカレーラクサ。
シンガポールのカレーラクサは米の麺が主流である
(2025年2月撮影)
沙茶醤はもともとマレーシアやインドネシアのサテー(sateまたはsatay)という串焼き料理のソースを指しており、このソースを潮州系または福建系の人々がそれぞれ中国に持ち帰ったとされている。潮州には沙茶麺という料理はなく、一般に鍋料理のつけだれやまぜそばのたれ、炒め物の調味料として使うことが多い。潮州の沙茶醤は、現地から持って帰ったサテーソースの辛さを抑え、干し魚、臭味を消す草果、陳皮を加えて中華料理の手法で調理したものである。この潮州の沙茶醤は、潮州系外省人が戦後に台湾へ持ち込むことになる。
一方厦門では、1910年生まれの陳高勧がマレーシアから沙茶醤の製造技法を持ち帰り、広めた人物の一人だとされている。厦門の沙茶麺では、沙茶醤は粉末のものを使うことが多い。この粉末沙茶醤を開発したのが陳高勧であり、携帯や保存に便利だとして戦後に広まった。この沙茶醤を使った麺料理がいつ頃から厦門で販売されるようになったのか確かな記録はないが、おおよそ1960年代末には出現し、1970年代から80年代頃に流行し始めたとされている。実際に厦門で現在でも人気の沙茶麺店は、1980年代以降創業が多い。つまり、沙茶麺の歴史はそれほど古くはない。
他方で、ニョニャ料理の代表としてラクサは知られている。ニョニャ料理とは、中華料理とマレー料理が融合した料理カテゴリーである。ラクサは17世紀から19世紀にかけてマラッカで生まれ、ペナンやシンガポールなどの海峡植民地で受け継がれてきた。つまり、ラクサは中国の食材や調理法と現地の調味料の融合によって生まれた麺料理である。ここから分かるように、ラクサと沙茶麺を比較すると、ラクサの方が歴史は古い。カレーラクサで使われるラクサペーストの材料を見てみると、唐辛子、ターメリック、エビ、ニンニク、ショウガなどのスパイスや食材を使うという点で似ている。大きな違いは干し魚を加えないことだが、エビのうまみに乾燥スパイスの香りやフレッシュスパイスの辛みと香りを加えるという共通点がある。
ここから先は、私の推測を交えてラクサと沙茶麺という二つの麺料理について考えてみたい。まず、中国の移民男性がマレーシアなどに移住し、現地の女性と結婚し、カレーラクサをはじめとしたニョニャ料理が生まれた。現地で使用されているサテーソースなどのスパイスのおいしさを知った華人は、それを中国の故郷に持って帰り改良した。潮州人と福建人はそれぞれ別のルートでサテーソースを持ち帰って沙茶醤を製造し、厦門ではそれが1960年代以降に麺料理にも使われるようになり沙茶麺が誕生した。一方でカレーラクサは、現地のフレッシュスパイスと乾燥スパイスをエビのスープやココナッツミルクと混ぜ合わせたスープ麺となって発展していった。カレーラクサには、サテーソースが用いられているわけではない。しかし、スパイスを基調とした調味料は共通しており、その材料も、エビのうまみがスープの決め手になっているところも似ている。カレーラクサではココナッツミルクでまろやかさを出し、沙茶麺では主に花生醤を使う。両者が似ているのは、おそらく偶然だろう。マレーシア、シンガポール、インドネシアにはルンパ(rempah)と呼ばれるフレッシュスパイスと乾燥スパイスを混ぜたスパイスペーストを料理に使う習慣があり、それを使ってまろやかなスープ麺を作ったら、カレーラクサになった。結果として、ラクサと沙茶麺は似たスープ麺になったのだろう。しかし、考えれば考えるほど、薄味が好まれる厦門という場所でラクサに似た濃厚なスープ麺が生み出され、受け入れられたことが不思議でならない。
私はマレーシアでカレーラクサを食べたことで、これまでほとんど気にとめていなかった厦門の沙茶や沙茶麺の歴史について考えるきっかけになった。料理や調味料の歴史を追いかけると、華人の移動や現地の食文化との交流・融合について改めて理解を深める機会になる。沙茶に限らず、華南で身近な調味料の歴史を追ってみると意外な発見があるかもしれない。
参照文献
曾 齡儀 2020『沙茶:戰後潮汕移民與台灣飲食變遷』台北:前衛出版社。
Duruz, Jean 2007 From Malacca to Adelaide…: Fragment towards a Biography of Cooking, Yearning and Laksa. Sydney C. H. Cheung and Tan Chee-Beng (eds.) Food and Foodway in Asia: Resource, Tradition and Cooking. Abingdon: Routledge.
Webページ
「“侨”见乡味|厦门的侨乡风味小吃」『鹭风报』2025年3月21日。
蘇 俐穎「台灣沙茶:記錄移民軌跡的紛呈滋味」『台灣光華雜誌』2023年5月。