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マレーシア・ペナン島ハーモニー通りの広福宮

【写真1】:広福宮

マレーシア・ペナン島ジョージタウンに広福宮(Kong Hock Keong)というお寺がある。観音を主神とすることから観音亭(Kuan Yin TempleまたはGoddess of Mercy Temple)とも呼ばれる。ほかにも媽祖や関帝、孔文公、文昌公、大伯公などを祭る道教・仏教混交のお寺である。

広福宮は1800年に設立された。資金を提供したのは、ペナンよりも早く交易拠点として隆盛していた港市で財を築いた華人であった。ソンクラーを拠点としていたブンフイ・ナ・ソンクラ―(Boonhui Na Songkhla/呉文輝)、ムラカを拠点としていたチュア・スーチェオン(Chua Su Cheong/蔡士章)、クダからペナンに移りペナンの初代華人カピタンに任命されたコー・ライホアン(Koh Lay Huan/辜禮歡)など福建省出身者と、マラッカの胡徳寿、ペナンの華人カピタンに任命された胡始明など広東省出身者がいた。広福宮はマラッカ海峡をまたがる華人ネットワークの中で設立されたといえる。

他方でこの華人ネットワークが展開した背景についても留意する必要がある。東南アジア交易をほぼ独占していたオランダ東インド会社に対抗すべく、自由貿易秩序を築こうとしたイギリス東インド会社や、同社が参照した東南アジアにおける港市の秩序もまた広福宮の設立において重要であった。

1786年にペナンを獲得したイギリス東インド会社は、15世紀から18世紀に隆盛した東南アジアの港市国家が多様な商人を誘致するためにその信仰を保証したように、マラッカ海峡で交易に従事してきたアジア系商人をペナンに引き付けるべく、アジア系商人に信仰の場を建てるための土地を提供した。

イギリス東インド会社は、カピタン・クリン(クリンは南インド出身のイスラム教徒、カピタンはコミュニティリーダーの意味)に任命したカディル・マイディン・メリカンに、イスラム教徒の信仰の場を建設する用地として1801年に土地を譲与した。カディル・マイディン・メリカンはイスラム教徒から寄付を集め、その土地にカピタン・クリン・モスクを設立した。

【写真2】:カピタン・クリン・モスク

イギリス東インド会社は、南インド出身のタミル人カピタンに任命したベティ・リンガム・チェティにも信仰の場を建設するための土地を1801年に譲与した。その土地には1833年にスリマリアマン寺院というヒンドゥー寺院が建設された。

【写真3】スリマリアマン寺院(カピタン・クリン・モスク通りの入り口。メインエントランスはクイーン通り(Queen Street)側にある。

広福宮が建てられた土地もまた、イギリス東インド会社が華人に対して信仰の場を建設すべく譲与したものであった。これにより広福宮は華人社会の公的な場として華人社会内外で認識されるようになった。広福宮はペナンの華人社会の地縁・血縁・方言等を横断する信仰の場であるとともに、1860年代頃まで紛争等の調停機能も有するペナンの華人社会の最上位の機関として位置づけられていた。

広福宮、スリマリアマン寺院、カピタン・クリン・モスクは、いずれもカピタン・クリン・モスク通りに所在し、北から順にそれぞれ約100メートルの間隔で並んでいる。異なる信仰が隣り合って存在するカピタン・クリン・モスク通りは「ハーモニー通り」とも呼ばれ、ユネスコ世界文化遺産の街・ジョージタウンを象徴する通りとなっている。