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マレーシア華人たちが信仰する大二爺伯

山盛りの供え物

マレーシアは華人の伝統文化、民間信仰が色濃く残っている。

クアラルンプールを訪れた際、華人の友人が「今晩、陰神のお祭りがあるので一緒に行かない?」と誘ってくれた。

大二爺伯 金紙

「陰神って何だろう?」と思いながら、友人の車でセランゴール州プチョンへ向かった。すでに薄暗くなっていたのであたりの様子はよくわからなかったが、工業地帯のようだ。工場は静まり返っており、一角だけ賑わっていた。工場の片隅に小さな廟壇があった。多くの老若男女が集まっていた。祭壇に向かって線香をあげ祈る人もいれば、横の広場に並べられた数々のテーブルやプラスチック椅子に座って、このあと行われる儀式を待ちながら、おしゃべりを楽しんでいる人たちもいた。人々が集っていた場所の横の道路は一部通行止めになっていた。そこには、金箔がかかった紙銭や元宝、折り紙で作られた人形を乗せた龍船、色とりどりの馬などが道路一体に並べられている。祭りのクライマックスとして燃やし陰神に送るためだ。万一に備えて消防車も準備されていた。

大二爺伯 供物

一方、祭壇には一頭150センチほどの大きな豚の丸焼きが10頭ほど並べられていただろうか。それらを筆頭に、色とりどりの果物や饅頭などたくさんの供え物が、ざっと縦横5平方メートルほどの卓上に敷き詰められていた。

さらに奥に入ると、大二爺伯などの神々が祭られている祭壇、その反対側には大きな椅子と机。机の上には、古いそろばんや筆、金箔がかかった半紙、酒盃などをおかれていた。

大二爺伯

友人が言った陰神とは大二爺伯を指していた。大二爺伯(大二伯爺ともいう)は道教の民間信仰である。

大爺伯と二爺伯は二尊セットで一体の神として祭られている。謝必安将軍は大爺伯、范無救将軍が二爺伯と称されている。中国閩南や東南アジアの華人社会では、「大二老爺」とも呼ばれ、台湾では「七爺八爺」と呼ばれている。かつて、日本の書物でも「七ヤ八ヤのおまつり」を記したものがある。

大二爺伯神像

謝必安将軍の顔と服は白く、長身で細い体付きである。四角形の高い官帽をかぶっており、その帽子には「一見發財」や「一見大吉」と書いてある。右手には白い羽の扇子、左手には火箋を持ち、胸に届くほど長くて黒い舌が特徴である。

一方、范無救将軍は、顔も服も黒を基調としており、背は低くぽっちゃり体型である。彼が被っている四角形の高い官房には「天下太平」と書かれている。右手に黒い羽の扇子、左手には鎖と方牌を持っており、方牌には「賞善罰悪」や「善悪分明」と書かれている。

この日、祭壇には、大爺伯と二爺伯のほか、孝子爺、金銭伯、牛頭馬面将軍、五路将軍などが祭られていた。

乩童

大二爺伯の祭りを見るのははじめてだった。しかも、乩童(チートン)と呼ばれるいわば霊媒師(シャーマン)に、大二爺伯が「駕臨」(憑依)する場に立ち会うのもはじめてだ。

大伯爺のように白いズボンと上着を着た乩童が、祭壇の前にあった椅子に座った。乩童は机に両腕を載せ、頭を伏せた。周りに集っている人たちが各種の楽器を奏でながら、大きな声でなにか唱えている。

大爺伯白官帽

しばらくすると、乩童は全身震えだし、机も椅子も倒れんばかりだ。さっきとは打って変わって白目、そして甲高い声になった。話す言葉も変わり、閩南方言らしい。大爺伯が憑依したのだろう。渡された酒盃を飲み乾し、パイプ煙草を吸った、そして「一見發財」と書かれた白い帽子を被った。筆を渡すと、流れるような筆さばきで半紙になにか書き記した。そして、そばにあった古いそろばんを、振り回し音を立て、さらに舌でそろばんの縁をなめた。しばらくすると、羽扇子を扇ぎながら、猫背の姿勢で揺ら揺らと歩きだした。人々は大爺伯に各々人生相談をすると、大爺伯はゆっくりとした口調で説教をした。

まさに、摩訶不思議な光景だ。文字だけでは伝えきれないインパクトがある。

これぞフィールドワークの現場でなければ得難い、貴重な経験といえる。

マレーシアの華人社会でこうした民間信仰が連綿と伝えられている。しかも近年、若者の間で人気になっているそうだ。