Home 大会・研究会 研究会 わたしの民を行かせなさい ――「華人キリスト者の越境と宗教実践」よりアンチディアスポラの文脈を展望して

わたしの民を行かせなさい ――「華人キリスト者の越境と宗教実践」よりアンチディアスポラの文脈を展望して

10月22日(土)15: 25〜16: 25

アルベルトゥス=トーマス・モリ会員(国立民族学博物館外来研究員)

 

華人研究の蓄積がどんどん増えてきた一方、そのパラダイムがChinesenessに縛られて自家撞着な状況に陥っているともよく指摘されている。Shu-mei Shihが提唱したSinophone概念は、Chinesenessから脱却するためのアンチディアスポラという方向性を示唆した一方、それへの批判が彼女個人への人身攻撃までエスカレートしたことにより、華人研究が内包する政治性に対しては、もはやすべての研究者と当事者が意識してかつ積極的にリアクションを取るべきではないかと思われる。そこでは一旦「華人」の発祥元となる「中華文明」および「近代国家」という二つの問題に立ち返り、よりマクロな視座で関連構造への再検討を行う必要があると主張したい。拙著は恥ずかしいながらも、まさにそれを意識した上で行ったエスノグラフィーの試みであった。だが執筆の過程において、これは如何に大変な作業であるかを思い知らされた挙句、入口への方向提示になったらありがたいと思う気持ちで一区切りをせざるを得なかった。此度の講演では、その中途半端な論述を補完しつつ、未熟な故にうまく文章化出来なかった発想を同業の皆様と分かち合いたい。特に、そもそも華人研究の発展を促す大きな背景の一つである近代国家との緊張関係は、前近代の「帝国」の文脈においてはむしろミッレト制のような関係性の中に収斂できると考えられよう。さらに「帝国」は決して歴史の遺物ではなく、その存在意義はシュペングラーの文明論のような枠組みにおいて、近代国家よりも自明であろう。そのような広大な視野を用いて華人研究に臨めば、より一層当事者の「生」に近付く研究ができると、深く信じている。